※宿場ごとではなく、写真ごとに撮影者の名前を記載していただくようにしますので、追加の撮影をお願いします。
※既に撮影済の場所でももっと色々なパターンの写真を希望します(誰が撮影してもOKです)
※富士山など遠景と手前の明暗差がある場合はHDRや2枚合成など対応願います(外での撮影にはCPLフィルターは必需品です)
※名物(店舗・商品)に関しては、お店の許可が必要ですので、光ミュージアムにお任せいたします。
ギガファイル便
https://gigafile.nu/
フォトサービスカワグチ
kawaguchi_y@photo55.jp


 
始 日本橋 「朝之景」(にほんばし あさのけい)
日本橋川に架かる橋で、江戸から京へ向う東海道の起点。
橋の向こう側に魚河岸があり、こちら側には高札場や刑場がある。高札場とは、 幕府や領主が民衆に周知するため人目につく場所に法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを書いた木の札を掲げた場所のこと。 朝早く江戸を発ち日本橋を渡って国許に向う参勤交代の大名行列と、 魚河岸で仕入れた魚を入れたかごを担いで商いに出かける魚売り(ほてふりという)たちの様子を描いている。 


日本橋
東京都中央区日本橋室町1丁目8−1



撮影ポイント:1911年に架けられた2連の石造アーチ橋(国指定重要文化財)、日本橋川のクルーズ船と大都会のビル群が見える。
 
江戸前の魚介、魚河岸の練り物 佃煮や蒲鉾の老舗が今も東京の味として継承。


遠忠商店
中央区日本橋蛎殻町1丁目30−10


     

01:品川宿 「日之出」(しながわ ひので)
慶長6年(1601)に設けられた宿場で、「江戸四宿」の一つ。
四宿とは、他に中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿。
早朝江戸を出立し国許へ向う大名行列が、朝焼けの中、品川港の街道沿いに位置する品川宿を通過する様子を描いている。
右手に見えるのは御殿山の山裾、左側に広がっていた海(品川湾)は大規模な埋め立てが行われており、東京湾の海岸線ははるか沖合へと移動しています。


品川浦船溜り
東京都品川区北品川1丁目23−6



撮影ポイント:江戸時代とは全く変ってしまった都会ですが、船溜まりは残っており町中には宿場案内板もあります。 
 
品川海苔(浅草海苔の主要産地)、品川飯 海苔問屋街が名跡を継承。品川飯は郷土料理として復刻。



     

02:川崎宿 「六郷渡船」(かわさき ろくごうのわたし)
比較的遅い元和 9年(1623)正式な宿駅となり、川崎大師への参拝客で賑わった。
江戸方面からは多摩川(下流を六郷川と呼ぶ)を越えると川崎宿。慶長5年(1600)家康によって六郷大橋が架橋されたが、 貞享5年(1688)の洪水で流失し、それ以来渡船が用いられた。川崎宿方面に向う渡し舟の旅人、 返し舟を待つ武士、荷物を背負った馬、女客を乗せた駕籠など六郷の渡しの様子を描いている。渡し舟の管理小屋に渡し賃を払う男も見える。  


六郷の渡し碑
神奈川県川崎市川崎区旭町1丁目5−8



撮影ポイント:多摩川の船着場跡には、「六郷の渡し跡」の石碑、明治天皇行幸時の記念碑、渡船のモニュメント などが整備。 
 
奈良茶飯(万年屋)、追分まんじゅう 奈良茶飯はお土産おこわとして復刻。追分まんじゅうは老舗が健在。

 川崎屋東照(とうてる)本店
川崎市川崎区本町1丁目8−9 東照ビル
多摩川菓子店
川崎市川崎区大島2丁目1−2


     

03:神奈川宿 「臺之景」(かながわ だいのけい)
慶長6年(1601)神奈川湊に添って進む街道添いに設けられた(現在の神奈川新町あたり)。宿場に続く台町は、湊の光景が眼下に一望できる風光明媚な場所で、茶屋が立ち並んでいた。 台の茶屋の客引き女が旅人を引き止めたり、 親子連れの巡礼や六部(日本全国66カ国を巡礼して歩く法師)が茶屋前を行く様子を描いている。湊の向うに青黒く見える山のあたりが本牧地域。 


神奈川宿歴史の道:さくら屋
神奈川県横浜市神奈川区台町7−21



撮影ポイント:広重の絵に「さくら屋」として描かれた料亭 田中家、江戸時代から続く由緒ある老舗。 
 
諸国銘茶(茶問屋)、足柄茶 天保年間創業の茶商などが現在も横浜で営業中。



     

04:保土ヶ谷宿 「新甼橋」(ほどがや しんまちばし) 
慶長6年(1601)に設けられた武蔵国最西端の宿場町。
帷子川に架かる帷子(かたびら)橋(新町橋)を渡ると宿場に入る。橋を渡って宿場に向う虚無僧や駕籠、宿場の前を通る旅人の集団、 二八そばを売る宿場の入り口の茶屋と茶店の女たちなどを描いている。また、左側の田んぼ道を行く子供連れの農婦も小さく見える。 


天王町駅前公園
神奈川県横浜市保土ケ谷区岩間町1丁目5



撮影ポイント:天王町駅前公園/宿場跡地には橋の欄干や親柱を模したモニュメントと案内板が設置されております。 
 
保土ヶ谷大根(権太坂の名産)、宿場蕎麦 大根は伝統野菜として、蕎麦は地域ブランドとして復刻。


宿場そば 桑名屋
横浜市保土ケ谷区岩井町21
 

     

05:戸塚宿 「元町別道」(とつか もとまちべつどう)
相模国の一番目に位置し、日本橋を出立してから一泊目の旅程にあたる宿場で、 東海道五十三次の中でも旅籠数では小田原宿に次ぐ規模であったといわれている。
柏尾川に架かる吉田橋と、そのふもとの茶屋、馬から飛び降りる旅人、 旅の女や老人などの様子が描かれている。橋の向こう側は戸塚宿の旅籠、橋のこちら側の道標に「左りかまくら道」と標されている。  


国道1号線の吉田大橋
神奈川県横浜市戸塚区矢部町39


戸塚宿・江戸方見付跡の碑
横浜市戸塚区吉田町879 国道一号沿「フォルクス」前

横浜市営地下鉄「戸塚駅」の地下連絡通路 
撮影ポイント:国道1号線の「吉田大橋(よしだおおばし)」付近。 
 
牛皮餅、旅人向けの各種和菓子 旧街道近くの天保年間創業の老舗などが伝統を継承。



     

06:藤沢宿 「遊行寺」(ふじさわ ゆぎょうじ)
慶長6年(1601)に設けられた宿場で、鎌倉時代から時宗総本山遊行寺の門前町として栄えた。
境川に架かる大鋸(だいぎり)橋(現遊行寺橋)あたりから見た宿場と、山上の遊行寺を描いている。川の手前に江島神社の一の鳥居があり、ここから江の島に通じる江の島道が分かれる。江の島までは約1里。遊行寺を眺めている江ノ島詣での座頭4人連れ、橋を渡る大きな木刀を担いだ大山詣での職人なども見える。  


清浄光寺(遊行寺)
神奈川県藤沢市西富1丁目8−1

遊行寺橋名板(プレート)を写す
藤沢市藤沢1丁目1−35

江島神社
藤沢市江の島2丁目3−8


堺川(片瀬川)の遊行寺橋のたもと
ふじさわ宿交流館
撮影ポイント:藤沢宿の「時宗総本山 遊行寺」(清浄光寺)。 
 
江の島土産(貝細工)、遊行寺の縁日物 江の島観光の土産物文化として今も発展・現存。


遊行寺境内

     

07:平塚宿 「縄手道」(ひらつか なわてみち)
相模川にかかる馬入橋(ばにゅうばし)を渡ると平塚宿である。平塚の宿を出て街道を西に向うと正面に高麗山が立ちはだかり、 間もなく花水川に架かる花水橋を渡る。この橋を越えると間もなく次の大磯宿である。縄手道とはたんぼのあぜ道のこと。宿の西出口あたりの街道の様子を描いている。 正面に高麗山、右手に富士山や大山、また前方に花水橋が見える。  


平塚宿京方見附跡
神奈川県平塚市平塚4丁目33



江戸見附緑地 
平塚市見附町1−1


高麗山のみ撮影
撮影ポイント: 絵に描かれた丸い山は高麗山(こまやま)で、現在も平塚のシンボルとしてそのままの姿を残しています。
 
相模川の鮎(こうじ鮎) 現在も相模川の鮎は特産。地元の銘菓のモチーフにも。



     

08:大磯宿 「虎ヶ雨」(おおいそ とらがあめ)
平塚宿を出て花水橋を渡ると間もなく大磯宿である。
大磯宿は、曽我十郎との恋で有名な虎御前にちなんだ旧跡が多い。大磯宿の東の棒鼻(出入口)付近の様子である。立て札や柵など典型的な宿場の入り口の特徴を示している。 虎御前にちなんだ涙雨の中、旅人たちが棒鼻を通って宿場に向う様子を描いている。右手の山は高麗山、左手の磯は小余綾(こゆるぎ)磯。  


化粧坂松並木
神奈川県中郡大磯町大磯



撮影ポイント: 美しい松並木が今も旧東海道沿いに残されております。 
 
虎子饅頭、坂本のみずあめ、魚介の吸い物 明治創業の和菓子店が饅頭を継承。みずあめは名跡が残る。

新杵菓子舗
神奈川県中郡大磯町大磯1107 
 


     

09:小田原宿 「酒匂川」(おだわら さかわがわ)
大久保家十一万三千石の城下町で、江戸を発ってから初めての城下町でもある。幕府は、江戸防衛のため酒匂川(さかわがわ)に架橋、渡船を許さず、このため酒匂川を人力で渡らなければならなかった。 蓮台や肩車で酒匂川を越える旅人や人足の様子を描いている。江戸方面から来てこの川を越えると、 小田原宿に入る。険しい箱根山の麓に小田原城や小田原の宿場も見える。  


酒匂川の渡しの碑
神奈川県小田原市西酒匂1丁目3

 逆光対策して下さい


小田原城 小田原宿なりわい交流館 小田原市本町3-6-23 
撮影ポイント: 現在「酒匂川の渡しの碑」が建立されています。
 
小田原提灯、外郎薬(透頂香)、かまぼこ ういろう(薬・菓子)の店舗が現存。かまぼこ・提灯も健在。



     

10:箱根宿 「湖水圖」(はこね こすいず) 
元和4年(1618)に箱根山の箱根峠と箱根関所の間の狭い地域に設置された。 関所は、江戸幕府防衛のため芦ノ湖畔に設けられ、この関所から江戸寄りに古くからの箱根の町である「元箱根」が位置する。 西へ向う大名行列が、芦ノ湖から聳える箱根山の山峡を越して行く様子を描いている。 この険しい峠を越えると、相模国から伊豆国へと至る。 
「湖水図」は特定の定点ではなく、箱根の険しい山々と芦ノ湖、そして富士山を組み合わせた広重の理想的な風景と言われています。 


恩賜箱根公園 展望台
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根171

 富士山(季節・天候)鳥居入れ込み
富士山アップ(季節・天候)

箱根関所
足柄下郡箱根町箱根1番地

箱根関所
撮影ポイント: 芦ノ湖の東岸から見た景色で天気が良いと富士山も見え、湖には大きな遊覧船も周遊しています。 
 
箱根寄木細工、箱根峠の甘酒 寄木細工は伝統工芸として現役。峠の甘酒茶屋も今なお営業中。


甘酒茶屋
足柄下郡箱根町畑宿二子山 395-28


     

 11:三島宿 「朝霧」(みしま あさぎり)
東海道では伊豆国唯一の宿で、源頼朝が戦勝祈願したことで有名な三島大社の門前町として栄えた。 下田街道や甲州道と交差し、箱根越えの宿場としても大いに賑わい、「三島女郎衆」と呼ばれた宿場女郎、飯盛女が大勢いた。 三島女郎衆は、豊臣秀吉が小田原城攻めに際し兵士慰安のため女たちを三島に集めたことに始まる。 朝霧が立ち込める早朝、箱根越えに向う山駕籠と乗掛の馬が三島大社前を出立し、3人連れの巡礼が西へ旅立つ様子を描いている。 


三嶋大社
静岡県三島市大宮町2丁目1−5



撮影ポイント: 旧東海道沿い、三嶋大社を中心とする一帯 
 
三島暦(実用土産)、三島女郎衆のうなぎ 三島暦師の館が文化を継承。うなぎは現在も三島の名物。

三嶋暦師の館


     

12:沼津宿 「黄昏図」(ぬまず たそがれず)
水野家五万石の城下町。黄瀬川沿いに進み、黄瀬川橋を渡ると沼津宿に入る。 駿河湾に近く、昔はこの辺り一帯に沼地が拡がっていたと言われている。 夕暮れ時、満月の下黄瀬川沿いを沼津宿に向う巡礼の親子連れや 天狗の面を背負って金比羅詣でに行く旅人の様子を描いている。  


御成橋:静岡県沼津市13



撮影ポイント: 絵画の構図にあたる場所は狩野川の河川敷や御成橋付近です。 
 
駿河湾の干物、お茶 現在も沼津港を中心に日本屈指の干物産地として健在。


大淵笹場
静岡県富士市大淵1445
 

     

13:原宿 「朝之富士」(はら あさのふじ)
駿河湾沿いの海岸線に位置し、眼前に雄大な富士が聳える風光明媚な宿場であった。 この辺り一帯は、浮島ケ原と呼ばれる沼地が拡がっていた。 上方方面に向う女の旅人とその連れが、富士の姿に感嘆している様子を描いている。 右手に黒く切り立った山は愛鷹山。女性は手にキセルを持っている。 

 

浮島沼釣り場公園付近
静岡県富士市中里2626−40

 富士山(季節・天候)再撮影

原宿跡:浅間神社
沼津市原、交番隣

撮影ポイント: 宿場町である「原宿」を出てすぐの湿地帯「浮島ヶ原(現在の浮島沼周辺)」から、雄大な富士山が見え、原宿跡「浅間神社」の前に宿場の標識と看板が有ります。 
 
帯を締める富士(名所)、松蔭寺のぬか漬け 白隠禅師ゆかりの寺(松蔭寺)。周辺のお茶や干物が今も主土産。

松蔭寺 沼津市原128
 


     

14:吉原宿 「左富士」(よしわら ひだりふじ)
2度の大津波の被害を受け宿場を内陸部に移転したため、原宿 から海沿いを通っていた東海道は、 吉原宿の手前で海から離れ内陸部に大きく湾曲していた。このため、それまで右手に見えていた富士が左手に見える景勝地となった。 3人乗りの馬(この乗り方を三宝荒神という)が左富士が見える街道を行く風景を描いている。  


名勝 左富士
静岡県富士市依田橋町8−34




明暗差があるので注意

左富士近くの橋からも富士山が見えます。
撮影ポイント: 松並木は現在1本の松が残るのみとなっており、すぐそばには左富士神社が鎮座しています。 
 
左富士(名所)、富士の合わせ新粉餅 富士山の絶景スポット。周辺銘菓の歴史的ルーツ。



     

15:蒲原宿 「夜之雪」(かんばら よるのゆき)
駿河湾の海岸線に近く、江戸から来て富士川を舟で渡ったところに位置する宿場で、富士川が川止めになると、 江戸へ向う旅人たちで大いに賑わった。 夜の蒲原宿の雪景色を描いているが、2人連れの旅人はなぜか宿場から離れて富士川方面に向っているように見える。 なお、当時は気候温暖な駿河の地での雪景色もめずらしくはなかったのかもしれない。この絵は、広重の浮世絵の中でも名作とされている。 


蒲原 夜之雪記念碑
静岡県静岡市清水区蒲原3丁目1−4 1



撮影ポイント: 当時の情景を記念する「蒲原夜之雪記念碑」と旅籠「和泉屋」
 
いわし削り節、イルカの味噌煮 現在も清水区蒲原は「削り節の町」。イルカ料理も現存。



     

16:由井宿 「薩埵嶺」(ゆい さったみね) 
駿河湾の海岸沿いにあり、蒲原宿からわずか1里と五十三次の中でも宿場間の距離が最も短い。 海に切り立つ薩(さっ)た峠の断崖近くで、駿河湾越しに雪を抱く霊峰富士の姿を望む旅人の様子を描いている。 富士の下方右手の山が、宝永4年(1707)の大噴火で有名な宝永山。 


薩埵峠
静岡県静岡市清水区由比西倉澤



撮影ポイント: 駿河湾越しに富士山を望む絶景スポット。 
 
たまごもち(さとう餅) 大正創業の地元和菓子店「春埜製菓」が伝統製法で製造。

春埜(はるの)製菓
静岡市清水区由比北田92
 

     

17: 興津宿 「興津川」(おきつ おきつがわ)
慶長6年(1601)に設けられた駿河湾沿いの宿で、江戸方面からは徒歩渡りの興津川を越えると宿に入る。 興津宿は風光明媚な松原が広がる清見潟で有名であった。近くには三保の松原もある。 大柄な関取を乗せた駕籠と馬が興津川を渡っている様子を描いている。  




興津宿公園
静岡県静岡市清水区興津本町234

撮影ポイント: 興津宿の東側に位置しており、現在の「興津川橋梁」と周辺にある公園。 
 
宮様まんじゅう(興津鯛) 現在も「宮様まんじゅう」を製造する老舗が興津に現存。

宮様まんぢう本舗「潮屋」
静岡市清水区興津本町27−1
 

     

18:江尻宿 「三保遠望」(えじり みほえんぼう)
駿河湾に注ぐ巴川が造る砂州にできた宿であり、もともとは武田信玄が築城した江尻城の城下町であった。 江戸と大阪を結ぶ廻船ルートであり、三保の松原に囲まれる景勝の地でもあった。 江尻宿の前に広がる駿河湾の景色を描いている。たくさんの漁船が清水湊に係留している。 湊を取り巻くように三保の松原が長く延び、その向うに愛鷹山が見える。  


稚児橋
静岡県静岡市清水区銀座12−18




三保松原
静岡市清水区三保1338−45 

羽衣の松
撮影ポイント: (河童の伝説)徳川家康の時代、巴川に初めて橋がかけられ渡り初めの儀式の時に、河童と思しき稚児が颯爽と川から現れ橋を渡ったという伝説が残る。
 
追分羊かん(清水の次郎長も好む) 元禄年間創業の「追分羊羹」が当時と同じ場所で営業中。

追分羊かん 本店
静岡市清水区追分2丁目13−21


     

19:府中宿 「安部川」(ふちゅう あべかわ)
駿府城の城下町として大変賑わった。府中は駿河国の国府であったことから、駿府とも言われ、 家康の本拠地でもあった。このため、江戸、上方に並ぶ大きな町であった。江戸方面から見て駿府を過ぎたところに安倍川があり、 大井川同様徒歩渡りの川であった。 旅人を蓮台に乗せたり、肩車して安倍川を渡る様子を描いている。 後ろの山は賎機山(ぜにはたやま)。なお、餅を黄な粉にまぶして食べる安倍川餅は家康の時代からこの地の名物であった。 


駿河大橋
静岡県静岡市葵区南安倍2丁目10



撮影ポイント: 現在のJR東海道本線・安倍川橋の少し上流の駿河大橋付近。 
 
安倍川もち(徳川家康命名) 静岡駅や安倍川のたもとの専門店(やまだいち・せきべや等)で健在。



     

20:鞠子(丸子)宿「名物茶店」(まりこ めいぶつちゃみせ)
東海道中で最も小さい宿場で、名物「とろろ汁」が有名だった。 松尾芭蕉は、ここで「 うめ若菜、丸子の宿のとろろ汁 」と詠み、また十返舎一九は東海道中膝栗毛で鞠子の名物とろろ汁の話を書いている。 茶屋で二人連れの旅人が名物とろろ汁を食べ、赤ん坊をおぶった茶屋の女が茶を運ぶ様子を描いている。 広重は、慶長元年(1596)創業の老舗「丁子屋」をモデルにこの茶屋を描いたといわれているが、丁子屋は現在も存続している。  


とろろ汁の丁子屋
静岡県静岡市駿河区丸子7丁目10−10



撮影ポイント: 元祖 丁子屋(ちょうじや)」創業1596年の老舗。 
 
とろろ汁(東海道三大名物の一つ) 1596年創業の「丁子屋」が茅葺き屋根の店舗で今も提供。


     

21:岡部(宇都之山/宇津之谷峠)(おかべ うつのやま)
岡部宿と隣の鞠子宿との間に宇津ノ谷峠がある。 鞠子宿方面から来た旅人や薪を背負った地元の農民が宇津之谷峠を越えている様子を描いている。 なお、古来宇津ノ谷越えのために「蔦の細道」があり、在原業平や藤原定家など平安時代の多くの歌人がこの細道を歌に詠んでいる。 しかし、豊臣秀吉が小田原攻めのため宇津ノ谷越えをする際に、この細道の北側に新しい道を設け、それ以来蔦の細道は使われなくなった。  


東海道 宇津ノ谷峠越
静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷



撮影ポイント:宇津ノ谷の集落/宇津之谷峠の東側(静岡市駿河区宇津ノ谷)と峠の西側( 藤枝市岡部町岡部)の間。
 
おかべ豆腐、宇津ノ谷峠の十団子 十団子は厄除けの民芸品、豆腐は「あげおかべ」として復刻。


     

22:藤枝宿 「人馬継立」(ふじえだ じんばつぎたて) 
本多家四万石 田中城の城下町である。 宿場の問屋場で行われていた宿次を描いている。ここまで荷を担いできた人足や馬子たちが、 ここで次への引継ぎを終え、一息ついている様子を描いている。 


上伝馬交番横
静岡県藤枝市藤枝3丁目1−23




田中城跡 静岡県藤枝市田中1丁目7−20

本町交番横 藤枝市本町3丁目2
撮影ポイント:交番横にかつて伝馬制の事務を扱った問屋場があったことを示す路面表示や看板が設置されています。 
 
瀬戸の染飯(戦国期からの携帯食) 黄色いおこわ・おにぎりとして現代風に復刻、限定販売。

千貫堤・瀬戸染飯伝承館
静岡県藤枝市下青島1006−3

 


     

23:嶋田宿「大井川駿岸」(しまだ おおいがわしゅんがん)
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた東海道の難所大井川の東岸側(江戸側)に位置し、 長雨でお伊勢詣りなど上方へ向う旅人が足止めされると大変賑わった。 駿岸とは駿河側を意味する。大名行列の一行が駿河側の岸から大井川を渡ろうとしている様子を描いている。  


島田宿 大井川川越遺跡
静岡県島田市河原1丁目14−4



撮影ポイント: 大井川東岸にある島田市博物館に川越制度の歴史を今に伝える「島田宿大井川川越遺跡」と大井川にかかる世界一長い(全長897.4m)木造歩道橋「蓬莱橋」
 
大井川の川越し札、小豆もち 大井川川越し遺跡として保存。島田飴などの文化が残る。



     

24:金谷宿「大井川遠岸」(かなや おおいがわえんがん)
大井川の西岸側(京都側)に位置し、牧之原台地が迫る狭隘な場所に設置されていた。 東岸側の嶋田宿とは1里の距離で、蒲原-由井間と同様東海道中最短である。金谷宿は島田宿同様、大井川が増水して川止めになると、 江戸方面に向う旅人が足止めされ大いに賑わった。 金谷宿に向う旅人の一行が大井川を遠江側に渡って行く様子を描いている。 向うの牧の原台地 につながる山峡に金谷坂と金谷宿が見える。


旧東海道 金谷宿 川越し場跡
静岡県島田市金谷東2丁目3482−7


東海道金谷坂石畳
島田市金谷坂町2503

撮影ポイント:大井川の西岸脇に流れる小川の横に金谷宿川越し場跡(水神公園)があります。
 
織生姜(生姜の砂糖漬け菓子) 地域の和菓子店が現代風の生姜糖として復刻販売。

     

25:日坂宿「佐夜ノ中山」(にっさか さよのなかやま)
小夜の中山峠の西麓に位置する小規模な宿で、峠越えの宿客のために営まれていた。 小夜の中山峠は、古くから箱根峠や鈴鹿峠と列んで東海道の三大難所(峠)の一つとされ、金谷宿と日坂宿の間にあり、 急峻な坂が続いていた。 日坂宿に向う又旅姿や母子連れの旅人、金谷宿方面に帰る戻り駕籠などの様子を描いている。 道の真ん中に転がっているのは、遠州七不思議のひとつで夜になると泣くという伝説がある夜啼き石。  


佐夜鹿(さよしか)周辺の中山峠
静岡県掛川市日坂


日坂 浮世絵版画 掛川市日坂

撮影ポイント:掛川市佐夜鹿(さよしか)周辺の中山峠で、とても細く急坂な峠道。
 
小夜の中山・夜泣き石の「子育飴」 峠にある扇屋(子育飴総本家)が今も当時の飴を販売中。

掛川市佐夜鹿


小泉屋 掛川市佐夜鹿57−8

     

26:掛川宿「秋葉山遠望」(かけがわ あきばやまえんぼう)
戦国時代の武将山内一豊が大改修したことで有名な掛川城の城下町であり、ここから信濃国へ通じる塩の道が交差していた。 塩の道は、秋葉神社参詣のルートとなっており秋葉街道とも呼ばれ、当時は大変賑わった。 秋葉街道が分岐する塩井川に架かる二瀬川橋より眺めた秋葉山や、 僧侶に頭を下げる老夫婦など参詣者の様子を描いている。田んぼで田植えをする百姓の姿も見える。  


大池橋
静岡県掛川市大池356


掛川城
掛川市掛川1138−24


塩の道の碑
掛川市下垂木436 0222
撮影ポイント:倉真川に架かる大池橋(当時は二瀬川)に宿場の案内板がありました。 
 
葛布(伝統織物)、掛川茶 葛布は高級伝統工芸、掛川茶は一大ブランドとして健在。


粟ヶ岳 掛川市東山
 

     

27:袋井宿 「出茶屋ノ圖」(ふくろい でじゃやのず) 
他の宿場より遅れて元和2年(1616)に整備された小さな宿場で、江戸から数えても京から数えても27番目とちょうど中間点にあたる。 遠州三山(法多山尊永寺、万松山可睡斎、医王山油山寺)の宿場町でもあった。 宿場外れの出茶屋で、飛脚や駕籠かきがたばこを吸って休憩している様子を描いている。 遠くに宿場や馬を引く農夫が見える。 


東海道どまん中茶屋
静岡県袋井市袋井339



撮影ポイント:「出茶屋ノ圖」をモチーフに建てられた休憩施設「東海道どまん中茶屋」。近くには袋井宿の公園がありました。 
 
たまごふわふわ(本陣の高級卵料理) 幕末の古文書から完全再現され、市内の複数店舗で提供。


     

28:見附宿 「天竜川圖」(てんりゅうがわず) 
天竜川の東側(江戸側)に位置し、「見附」という名前は、京から旅してきて初めて富士が見える宿場であったことに由来すると言われている。 天竜川中州を挟んで大天竜と小天竜が流れ、いずれも水深があったため舟渡しが利用されていた。 この図は天竜川の中洲で渡し船の乗り継ぎをしている様子を描いている。なお、見附宿と浜松宿の間、 ちょうど天竜川を越えたあたりが距離的に東海道の中間点である。 


天竜川渡船場跡の石碑
静岡県磐田市池田<




見付宿 磐田市見付425−30


天竜川橋 浜松市中央区
撮影ポイント:天竜川東岸にある渡船場跡の石碑 
 
見付天神のはだか祭、粟餅 磐田市の伝統行事。周辺の和菓子店が伝統を伝える。


井口製菓(有)
磐田市見付2663
 

     

29:浜松宿 「冬枯ノ圖」(はままつ ふゆがれのず)
浜松藩の居城・浜松城を中心とする城下町で、東海道でも大規模な宿場であった。 上方へ向う旅人は、諏訪湖を源流とする天竜川を越えて浜松宿に入る。 寒々とした冬の田んぼの風景、杉の大木の下でたきびをする農夫たち、 立ち止まってきせるを片手に暖をとる旅人などを描いている。浜松城と浜松宿の家並み、その向うに遠州灘が見える。  


東海道浜松宿跡
静岡県浜松市中央区連尺町309−3 大手門パーク


浜松城公園
浜松市中央区元城町100−2 
撮影ポイント:浜松宿は市内のビル街に案内板が残っているだけになっていました。
 
浜名湖のすっぽん、おんじょく(温濁)酒 浜名湖周辺の滋養食文化のルーツ。


     

30:舞坂(舞阪)宿「今切真景」(まいさか いまぎれしんけい) 
浜名湖が遠州灘につながる「今切」の東岸に位置している。 今切とは、明応7年(1498)の大地震で浜名湖の海岸線が切れ、遠州灘とつながってしまったことから付けられた名前で、 ここに「今切の渡し」があった。 今切の渡しを越えると、浜名湖西岸の荒井(現在は新居)宿へ着く。 


東海道舞坂宿 渡船場跡北雁木
静岡県浜松市中央区舞阪町舞阪2121−3


旧東海道舞坂宿常夜燈+弁天島赤鳥居
浜松市中央区舞阪町舞阪2121−21

撮影ポイント:浜名湖が遠州灘へとつながる今切口(今切れ)の東岸にある渡船場跡。 
 
浜名湖の「ぶち海苔(混ぜ海苔)」 高級な青交ざり海苔として、現在も現役の特産品。


     

31:荒井(新居)宿「渡舟ノ圖」(あらい わたしぶねのず) 
浜名湖西岸に位置し、今切の渡しにより東岸の舞坂と結ばれている。 江戸に向う大名舟が荒井から今切の渡しを渡り、旅人たちが乗り合い舟で荒井へ向う様子を描いている。 向こう岸に荒井の関所と荒井宿の町並みが見える。船着場が関所になっており、 大名も旅人もここで厳しいチェックを受けたり手続きをしなければならなかった。「入鉄炮に出女」といわれるように、特に女性は厳しく調べられた。 


新居関所跡
静岡県湖西市新居町新居1227ー5



撮影ポイント:浜名湖(今切口)の西側を監視した今切関所「新居関所資料館」
 
うなぎの蒲焼(東海道三大名物) 関所建物が現存。浜名湖周辺のうなぎ屋は今も大繁盛。


     

32:白須賀宿 「汐見阪圖」(しらすか しおみざかず)
遠江国の最西端に位置し、元々は海岸近くにあったが、宝永4年(1707)の大地震と津波で大きな被害を受け、 その後潮見坂の上の高台に移された。 潮見坂の上方にある白須賀宿を立ち江戸に向う大名行列の一行が潮見坂を下ってゆく様子を描いている。 潮見坂は、東の荒井宿方面に向って下り、遠州灘や沿岸の漁村が見下ろせる絶景のポイントであった。  


潮見坂
静岡県湖西市白須賀620




潮見坂案内板 湖西市白須賀853−35


白須賀海岸 湖西市白須賀
撮影ポイント:現在の「潮見坂」一帯で、潮見坂の入り口に宿場案内板がありました。 
 
潮見坂のかしわ餅 弥次喜多も食べた名物。地元の和菓子店が名跡を継承。

おんやど白須賀 湖西市白須賀900


     

33:二川宿 「猿ヶ馬場」(ふたがわ さるがばば)
三河国最東端に位置し、将軍の天領で慶長6年(1601)の東海道設定当初から設置された小さな宿であった。 白須賀宿を立ち、二川宿に向うところに猿が馬場と言われた荒れた一帯があり、 そこの風景を描いている。二川の名物柏餅を売る茶店や柏餅を買う武士、三味線を持ったごぜの一行などが見える。  


豊橋市二川宿本陣資料館
愛知県豊橋市二川町中町65



撮影ポイント:旧東海道に豊橋市二川宿本陣資料館がありました。 
 
柏餅、かしわ肉の料理 二川宿本陣資料館周辺で、歴史的な風情とともに語り継がれる。


     

34:吉田宿 「豊川橋」(よしだ とよかわばし) 
慶長6年(1601)に設置された宿で、吉田藩・松平家七万石の城下町。湊町(吉田湊)としても栄えた。 街道は、吉田城の総堀に沿って続き、豊川に架かる将軍直轄の天下橋「吉田大橋(現在の豊橋)」を渡る。 当時はこの大橋の袂から伊勢へ行く舟も出ていた。 足場を築き吉田城の櫓を修理している風景や豊川に架かる大橋の眺めを描いている。遠方の山は、砥鹿(とが)神社奥宮の本宮山。 


吉田湊跡:愛知県豊橋市船町


吉田城 豊橋市今橋町3

撮影ポイント:豊川の南東岸から見た「吉田大橋」は「豊橋(とよばし)」と呼ばれていました。 
 
菜飯田楽(八丁味噌と大根葉のご飯) 文政年間創業の老舗「きく宗」が今も当時の味を完全現役で提供。

菜飯田楽 きく宗 豊橋市新本町40
 

     

35:御油(ごゆ)宿「旅人留女」(ごゆ たびびととめおんな)
慶長6年(1601)に設置され、三河国の一番目に位置する宿場である。 御油宿と次の赤坂宿の間には徳川家康が植えさせた松並木が続き、「御油の松並木」として有名である。 夕暮れ迫る御油宿で強引に旅人を誘う客引き女とそれを眺める飯盛り女、 宿にわらじを脱ぐ旅人と脚をゆすぐ桶を運ぶ宿の老婆などの様子を描いている。次の赤坂宿までわずか1.7kmの距離であり、 ぜひ御油に宿泊させようとする客引き女の強引さが面白い。  


御油の松並木
愛知県豊川市御油町並松20



撮影ポイント:約600メートルにわたる国の之天然記念物「御油の松並木」 
 
御油の松並木、キツネにちなむ油揚げ 豊川いなり寿司の歴史的なルーツの一つ。

豊川稲荷
愛知県豊川市豊川町1

     

36:赤坂宿「旅舎招婦ノ圖」(あかさか りょしゃしょうふのず)
御油宿と共に客引き女や飯盛り女を大勢抱えていた宿場であった。 旅籠の様子を描いたものであるが、風呂上りと思われる客、キセルを片手にくつろいでいる客、 食事を運ぶ女、客に呼ばれて来たあんま、右の部屋には客の相手をするために化粧に余念がない飯盛り女たちが描かれていて、 当時の旅籠の様子が窺い知れる。  

大橋屋
愛知県豊川市赤坂町紅里 127の1

撮影ポイント:御油の松並木から西に800m行った所に赤坂宿の旅籠「大橋屋」(旧鯉屋)が再現されています。 
 
赤坂の旅籠の御馳走(大橋屋) 2015年まで旅籠として営業。建物が現存し、文化を伝える。


赤坂宿公園 豊川市赤坂町紅里


     

37:藤川宿 「棒鼻ノ圖」(ふじかわ ぼうばなのず)
慶長6年(1601)当初より設置された宿場で、昔から交通の要衝とされていた。 棒鼻とは宿場の出入り口の事で、ここより「何々宿」と書いた棒杭が立てられていた。 この図は、朝廷へ献上する馬を連れた幕府の一行が東棒鼻に入ってきて、宿場役人が土下座をして一行を迎えている様子を描いている。  


藤川宿 東棒鼻跡
愛知県岡崎市市場町馬面1−3



撮影ポイント:一号線の南を走っている脇道に東棒鼻(宿場の出入り口の意味)が復元されていました。 
 
むらさき麦(独自の麦品種) 一度途絶えるも近年復活。道の駅等で麦粉のお菓子などを販売。


道の駅 藤川宿
岡崎市藤川町東沖田44


     

38:岡崎宿 「矢矧之橋」(おかざき やはぎのはし) 
徳川譜代大名本多家五万石の城下町で、家康生誕の地でもあり、大いに栄えた宿場であった。 矢矧(矢作)橋は、矢作川にかかる橋で、徳川時代には日本最長の大橋であった。 この図には、矢作橋を渡る大名行列が描かれているが、橋の向うに岡崎城とその城下町も見える。 なお、この矢作橋は、日吉丸と蜂須賀小六が出会った橋とされている。 


出合乃像:愛知県岡崎市矢作町市場


岡崎二十七曲り碑 冠木門
愛知県岡崎市根石町47


岡崎城
愛知県岡崎市康生町561−1
撮影ポイント:矢作川西岸、矢作橋のたもとにある「出合之像」。日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六の像/八丁味噌「まるや」 
 
八丁味噌、岡崎御影石(石工品) 味噌蔵(カクキュー・まるや)が現存。石工品も伝統工芸。

カクキュー八丁味噌 岡崎市八丁町69


     

39:池鯉鮒(ちりゅう)「首夏馬市」(ちりゅう しゅかうまいち)
古来知立神社の神主の氷見氏の居館・知立城を中心とした村落で、三河木綿の集散地としても盛え、 その運搬に馬市が立つようになった。慶長6年(1601)に東海道の宿駅とされた。 知立神社の御手洗池に鯉と鮒が沢山いたことから、それ以前の知立という地名が池鯉鮒に変えられた(現在は元の知立に戻されている)。 この図の題名は「首夏馬市」。宿場の東はずれで毎年首夏(陰暦四月)の二十五日から十日間行われていた馬市の様子を描いている。  


旧東海道 知立松並木
愛知県知立市牛田町新田北63



撮影ポイント:一号線から脇に入った脇道の歩道に松並木が残っており、入り口に看板と石碑が建っています。 
 
知立の大あんまき 明治以降に形を変えつつ、現在は「知立の大あんまき」として大ヒット。

大あんまきの藤田屋 知立市山町小林24−1
 

     

40:鳴海宿「名物有松絞」(なるみ めいぶつありまつしぼり)
尾張国の2つの宿の一つで、有松絞り(または鳴海絞り)が有名であった。 有松絞りは、紺を使った特有の染め方で浴衣や手拭などに用いられ、尾張藩の特産品と して保護・推奨された。 多くの旅人が故郷へのお土産に買い求め、特に女性に人気で、街道一の名産品として鳴海宿が栄える元にもなった。 夕暮れの鳴海宿を行く女旅人たちを描いているが、女旅人が店に飾られている有松絞りに目を奪われている様子が分かる。  


有松・鳴海絞会館
愛知県名古屋市緑区有松3008



尾張国の2つの宿の一つで、有松絞り(または鳴海絞り)が有名であった。 有松絞りは、紺を使った特有の染め方で浴衣や手拭などに用いられ、尾張藩の特産品と して保護・推奨された。 多くの旅人が故郷へのお土産に買い求め、特に女性に人気で、街道一の名産品として鳴海宿が栄える元にもなった。 夕暮れの鳴海宿を行く女旅人たちを描いているが、女旅人が店に飾られている有松絞りに目を奪われている様子が分かる。  
撮影ポイント:有松重要伝統的建造物群保存地区にある有松絞りの「鳴海絞会館」と有松絞りを売る店が軒を連ねています。
 
有松・鳴海絞(伝統の絞り染め木綿) 国指定の伝統的工芸品。街道沿いに専門店が多数並ぶ。

     

41:宮宿(熱田宿) 「熱田神事」(みや あつたしんじ)
熱田宿ともいい、伊勢神宮に次いで権威ある熱田神宮の門前町、港町として古くから栄え、東海道最大規模の宿場でもあった。 桑名宿とは東海道唯一の海路「七里の渡し」で結ばれていた。 熱田神宮の夜の馬追い神事を描いている。鳴海絞りと思われるおそろいの法被を着た若い衆が馬を追っている。 旅籠の女たちや旅人が、馬追いを見物している。  


熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1



撮影ポイント:宮宿(宮の宿)の名前の由来にもなった熱田神宮の境内。 
 
あつた宮宿のきしめん 熱田神宮境内の「宮きしめん」をはじめ、今も名古屋の代表食。


     

42:桑名宿 「七里渡口」(くわな しちりのわたしぐち)
桑名藩・松平家十万石の城下町で、宮宿との間は海上の渡し「七里の渡し」で結ばれていた。 海が荒れると海難事故も多く、東海道の難所の一つとされていた。七里とは、宮宿との距離が7里であったことに由来する。 ここは伊勢参りの東の玄関口でもあった。七里の渡しを越えて桑名港に着いた船が帆を下ろし、 旅人たちが外の景色を見ている様子を描いている。後のお城は桑名城。  


国営木曽三川公園 桑名七里の渡し公園
三重県桑名市太一丸20



撮影ポイント:「七里の渡」の石碑や鳥居が残り、揖斐川の河口に面した水門(蟠龍櫓・ばんりゅうやぐら)などが保存。
 
焼き蛤(三大名物)、安永餅 蛤料理(歌行燈等)が現存。1634年創業の安永餅もそのまま健在。

歌行燈 本店 桑名市江戸町10
 

     

43:四日市宿 「三重川」(よっかいち みえがわ)
伊勢参宮道への分岐点「日永の追分」を控え、また桑名宿同様宮宿との間に海上の渡し「十里の渡し」もあり、 伊勢参りの客を含めて大変賑わった。三重川(現在の三滝川)に架かる三滝橋を渡り、 三重川の向うに見える四日市宿に向う旅人、このあたりの田園を吹き抜ける強風に笠を飛ばされる旅人の様子を描いている。  


東海道 浮(三滝橋)
三重県四日市市北町10−14


出来れば晴れた日に

堤防が分かる様に引きで

日永の追分
三重県四日市市追分3丁目1−3013−1
 

四日市宿陣屋跡(四日市代官所跡)
三重県四日市市中部18
撮影ポイント:四日市市を流れる三滝川(みたきがわ)で、川に架かる「三滝橋(みたきばし)」周辺 
 
なが餅(笹井屋)、萬古焼(土鍋等) 1550年創業の笹井屋のなが餅が現存。萬古焼も陶芸として有名。

なが餅笹井屋 本店 四日市市北町5−13
 

     

44:石薬師宿「石藥師寺」(いしやくし いしやくしじ) 
古刹・石薬師寺に由来し、元和2年(1616)に宿場となった。 石薬師寺は真言宗の寺で、神亀3年(726)に泰澄が開創し、その後弘仁3年(812)に空海(弘法大師)が開眼法要を行って人々の信仰を集めた。 こ街道の正面に石薬師寺の山門と、背後に続く石薬師宿の家並みを描いている。 


高富山 瑠璃光院 石薬師寺
三重県鈴鹿市石薬師町1



撮影ポイント:三重県鈴鹿市に現在も位置している高富山 瑠璃光院 石薬師寺 。 
 
石薬師がに(カニを模した餅/かにが坂飴) 地元の和菓子店や地域イベントで限定的に復刻。

田村神社 厄除 かにが坂飴
滋賀県甲賀市土山町南土山甲1301
 


     

45:庄野宿 「白雨」(しょうの はくう)
寛永元年(1624)東海道五十三次の中でも一番後に設置された宿であった。 急な夕立に遭い、雨宿りする場所もなく、街道を鍬を担いだ百姓や籠やが駆け抜けていく様子を描いており、 広重の浮世絵の中でも名作とされている。  


庄野宿資料館
三重県鈴鹿市庄野町21−8



撮影ポイント:宿場の面影を残す町並みや関連資料は、旧小林家住宅を復元した「庄野宿資料館」に保存・展示されています
 
焼き米(携帯用の保存食) 当時の実用食。現在は宿場資料館等にその歴史が残る。


     

46:亀山宿 「雪晴」(かめやま ゆきばれ)
石川六万石の城下町で、町の北側丘陵地に亀山城があった。 晴れた朝の雪景色の中を、大名行列が、亀山城のそばを通る急な坂道を上っていく様子を描いている。左下は亀山宿の町並み。  


東海道亀山宿の碑
三重県亀山市 県道 647 号線



 亀山城 多聞櫓
三重県亀山市本丸町572−2

瑞宝軒
三重県亀山市御幸町231
撮影ポイント:亀山城の近くに建てられた「東海道亀山宿の碑」と旧町並み+亀山市歴史博物館
 
志ら玉(三色に彩られた上新粉の餅) 1688年創業の老舗「瑞宝軒」が、当時とまったく同じ姿で販売。

     

47:関宿 「本陣早立」(せき ほんじんはやだち)
古代から交通の要衝で、壬申の乱の頃には古代三関の一つ「鈴鹿の関」が置かれていた。 宿場の東の追分からは伊勢道、西の追分からは大和道が分岐する活気ある宿場であった。 夏祭りのときに繰り出される山車(山という)は大変立派で、これ以上ないという意味で「関の山」という言葉が生まれたといわれている。 まだ暗い早朝、大名が宿場の本陣を出立する様子を描いている。  



関宿 伊藤本陣跡
三重県亀山市関町中町519

撮影ポイント:伊藤本陣跡など当時の面影を残した関宿の町並み  
 
関の戸(和三盆の求肥餅) 寛永年間創業の「深川屋」が、当時と同じ街道沿いの本建築で販売。

深川屋 陸奥大掾
三重県亀山市関町中町387
 

     

48:坂之下宿 「筆捨嶺」(さかのした ふですてみね) 
関宿を過ぎて鈴鹿川に添って進み、鈴鹿峠に差し掛かる大事な地点に設置された宿場であった。 関宿から坂之下宿に向う途中の藤の茶屋から見る筆捨山(ふですてやま:本名は岩松山)は絶景で、 その昔狩野元信があまりの美しさに筆を捨てたことからこの名が付けられたといわれている。 下に鈴鹿川が流れる崖の上の藤の茶屋から、ごつごつした筆捨山を見晴らす旅人たちの様子を描いている。 


東海道 坂下宿:三重県亀山市関町坂下



撮影ポイント:「坂下宿」と「関宿」の間に位置し、鈴鹿川を挟んだ対岸にそびえる標高286mの筆捨山を眺めた地。 
 
鈴鹿峠・片山立場の山椒餅・みそ餅 当時の峠の茶屋は途絶えたが、ふもとの道の駅等で復刻販売。


     

49:土山宿 「春之雨」(つちやま はるのあめ)
西に向かう旅人が鈴鹿峠を越え近江国に入ると最初に迎える宿場で、「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と 馬子唄にも謡われるほど雨が多い所である。 雨が降り続く田村神社の前の田村川に架かる田村橋を渡る大名行列を描いている。 なお、古来鈴鹿峠は山賊が多く、この峠で山賊(鬼)を退治したといわれる坂上田村麻呂が田村神社に祀られている。  


田村橋:滋賀県甲賀市(田村神社)



撮影ポイント:田村神社とすぐ脇に流れる田村川にかかる橋に五十三次の解説板があります。
 
土山茶(挽きたての宿場緑茶) 現在も滋賀県最大の茶産地であり、「土山茶」ブランドとして健在。


     

50:水口宿「名物干瓢」(みなくち めいぶつかんぴょう)
加藤家三万五千石、水口城の城下町として栄えた。また、伊勢路へ向う人たちが利用する宿場でもあった。 当時多くの農家で干瓢が栽培され、干瓢を干す風景は初夏の水口の風物詩とされていた。 現在でも干瓢がは水口の特産品として親しまれている。 町外れの農村で女性たちが干瓢を削ったり、天日に干したりしている様子を描いている。  


東海道 水口宿
滋賀県甲賀市水口町秋葉3−10



撮影ポイント:東海道水口宿東見附と髙礼場跡
 
干瓢(夕顔を干した宿場農村の特産) 広重の浮世絵の題材。現在も水口の特産品として生産。


     

51:石部宿 「目川ノ里」(いしべ めかわのさと)
京から1日の行程にあり、江戸に向う旅人が1日目の宿場とした。また、伊勢路への宿場としても賑わった。 江戸寄りの水口宿との間に立場があり、そこに菜飯に田楽豆腐を出す田楽茶屋があった。この茶屋が黒蜜をかけたところてんの発祥の地である。 目川ノ里はむしろ草津宿に近いが、広重はここに田楽茶屋を描いている。 お伊勢詣での踊る旅人の一団が茶屋の前を通り過ぎようとしている。なお、後に聳えるのは近江富士(三上山)。  


石部宿場の里
滋賀県湖南市雨山2丁目1−1



撮影ポイント:東海道石部宿の里「歴史民俗資料館」
 
いもつぶし(とろろ汁・いも餅) 郷土の歴史を伝える和菓子等のモチーフとして残る。

石部宿 田楽茶屋
滋賀県湖南市石部西1丁目8−19


     

52:草津宿 「名物立場」(くさつ めいぶつたてば)
東海道と中仙道の合流地点であった。また、矢橋道への分岐点で、ここに姥が餅屋があった。 矢橋道は琵琶湖対岸の大津宿と結ぶ「矢橋の渡し」への道で、京へ行くには琵琶湖から注ぎ出る唯一の川 「瀬田川」か「矢橋の渡し」を渡るしかなかったが、矢橋の渡しの方が近道であった。 立場とは茶屋などがあり旅人、人足、駕籠などが休む場所。 この図は、旅人で繁盛する姥が餅屋や京へ向う早籠の様子を描いている。右に矢橋道への道標がある。  


うばがもちや 本店
滋賀県草津市大路2丁目13−19



撮影ポイント:国道1号線沿いに「うばがもちや 本店」として営業中。 
 
姥が餅(乳房を象ったあんころ餅) 家康も食べた名物。現在は草津駅前等の「うばがもちや」で健在。



     

53:大津宿「走井茶店」(おおつ はしりいちゃみせ) 
慶長7年(1602)大津陣屋が置かれて宿場になった。宿場町としてのみならず、 琵琶湖を行きかう物資が集散する港町としても栄え、東海道五十三次の中でも最大の宿場であった。 逢坂の関を越えると山城国に入るが、この入り口に走井があり、泉が湧き出していた。 清水がこんこんと湧き出している泉、この水で喉を潤したり、 名物の走井餅が焼けるのを待つ旅人など、走井茶屋の様子を描いている。走井餅は今も大津の代表的な名菓になっている。 


大津宿本陣跡:滋賀県大津市御幸町6−13



撮影ポイント:かつて峠の茶屋があったのは逢坂山の近くで、大津宿本陣跡が残されている。
 
走り井餅、大津絵(民芸の風刺画) 餅は伝統継承中。大津絵も三井寺の麓の専門店で手描き販売中。

(株)走り井餅本家
滋賀県大津市横木1丁目3−3

 

     

到着地「京師」「三條大橋」(けいし さんじょうおおはし)
江戸からおよそ百二十六里余り、約2週間の旅を終え、三条大橋を渡ると京の都に入る。 鴨川に架かる三条大橋を行き交う人々と、東山三十六峰の山並みを背にした京の町並みを描ている。 東山の後方には比叡山が聳えている。  


三条大橋:京都府京都市中京区大橋町



撮影ポイント:現在の三条大橋は鴨川(当時の加茂川)に架かっていて、東山の後方には比叡山が聳えている。
橋のたもとには江戸時代旅のブームの火付け役になったと言われる「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんの像がたっています。
 
京菓子、清水焼、京漬物 日本の伝統文化の中心として、あらゆる名物が今なお最高峰。



宿場名 江戸時代の代表的な名物 現在の状況・残され方
1. 武蔵国・相模国(東京都・神奈川県)
江戸を出発したばかりの東側エリア。
江戸前の海の恵みや、これからの旅路・箱根越えに備える実用品や薬が目立ちます。
起点:日本橋 江戸前の魚介、魚河岸の練り物 佃煮や蒲鉾の老舗が今も東京の味として継承。
1. 品川宿 品川海苔(浅草海苔の主要産地)、品川飯 海苔問屋街が名跡を継承。品川飯は郷土料理として復刻。
2. 川崎宿 奈良茶飯(万年屋)、追分まんじゅう 奈良茶飯はお土産おこわとして復刻。追分まんじゅうは老舗が健在。
3. 神奈川宿 諸国銘茶(茶問屋)、足柄茶 天保年間創業の茶商などが現在も横浜で営業中。
4. 保土ヶ谷宿 保土ヶ谷大根(権太坂の名産)、宿場蕎麦 大根は伝統野菜として、蕎麦は地域ブランドとして復刻。
5. 戸塚宿 牛皮餅、旅人向けの各種和菓子 旧街道近くの天保年間創業の老舗などが伝統を継承。
6. 藤沢宿 江の島土産(貝細工)、遊行寺の縁日物 江の島観光の土産物文化として今も発展・現存。
7. 平塚宿 相模川の鮎(こうじ鮎) 現在も相模川の鮎は特産。地元の銘菓のモチーフにも。
8. 大磯宿 虎子饅頭、坂本のみずあめ、魚介の吸い物 明治創業の和菓子店が饅頭を継承。みずあめは名跡が残る。
9. 小田原宿 小田原提灯、外郎薬(透頂香)、かまぼこ ういろう(薬・菓子)の店舗が現存。かまぼこ・提灯も健在。
10. 箱根宿 箱根寄木細工、箱根峠の甘酒 寄木細工は伝統工芸として現役。峠の甘酒茶屋も今なお営業中。
2. 伊豆国・駿河国・遠江国(静岡県)
東海道で最も長い区間。
富士山を望む絶景とともに、大井川の川留め文化や、東海道を代表する三大グルメが集中するエリアです。
11. 三島宿 三島暦(実用土産)、三島女郎衆のうなぎ 三島暦師の館が文化を継承。うなぎは現在も三島の名物。
12. 沼津宿 駿河湾の干物、お茶 現在も沼津港を中心に日本屈指の干物産地として健在。
13. 原宿 帯を締める富士(名所)、松蔭寺のぬか漬け 白隠禅師ゆかりの寺。周辺のお茶や干物が今も主土産。
14. 吉原宿 左富士(名所)、富士の合わせ新粉餅 富士山の絶景スポット。周辺銘菓の歴史的ルーツ。
15. 蒲原宿 いわし削り節、イルカの味噌煮 現在も清水区蒲原は「削り節の町」。イルカ料理も現存。
16. 由比宿 たまごもち(さとう餅) 大正創業の地元和菓子店「春埜製菓」が伝統製法で製造。
17. 興津宿 宮様まんじゅう(興津鯛) 現在も「宮様まんじゅう」を製造する老舗が興津に現存。
18. 江尻宿 追分羊かん(清水の次郎長も好む) 元禄年間創業の「追分羊羹」が当時と同じ場所で営業中。
19. 府中宿 安倍川もち(徳川家康命名) 静岡駅や安倍川のたもとの専門店(やまだいち等)で健在。
20. 丸子宿 とろろ汁(東海道三大名物の一つ) 1596年創業の「丁子屋」が茅葺き屋根の店舗で今も提供。
21. 岡部宿 おかべ豆腐、宇津ノ谷峠の十団子 十団子は厄除けの民芸品、豆腐は「あげおかべ」として復刻。
22. 藤枝宿 瀬戸の染飯(戦国期からの携帯食) 黄色いおこわ・おにぎりとして現代風に復刻、限定販売。
23. 島田宿 大井川の川越し札、小豆もち 大井川川越し遺跡として保存。島田飴などの文化が残る。
24. 金谷宿 織生姜(生姜の砂糖漬け菓子) 地域の和菓子店が現代風の生姜糖として復刻販売。
25. 日坂宿 小夜の中山・夜泣き石の「子育飴」 峠にある扇屋(子育飴総本家)が今も当時の飴を販売中。
26. 掛川宿 葛布(伝統織物)、掛川茶 葛布は高級伝統工芸、掛川茶は一大ブランドとして健在。
27. 袋井宿 たまごふわふわ(本陣の高級卵料理) 幕末の古文書から完全再現され、市内の複数店舗で提供。
28. 見付宿 見付天神のはだか祭、粟餅 磐田市の伝統行事。周辺の和菓子店が伝統を伝える。
29. 浜松宿 浜名湖のすっぽん、おんじょく(温濁)酒 浜名湖周辺の滋養食文化のルーツ。
30. 舞阪宿 浜名湖の「ぶち海苔(混ぜ海苔)」 高級な青交ざり海苔として、現在も現役の特産品。
31. 新居宿 うなぎの蒲焼(東海道三大名物) 関所建物が現存。浜名湖周辺のうなぎ屋は今も大繁盛。
32. 白須賀宿 潮見坂のかしわ餅 弥次喜多も食べた名物。地元の和菓子店が名跡を継承。
3. 三河国・尾張国(愛知県)
織物や絞り染めなどの洗練された工芸品と、八丁味噌文化が絡む独自のガッツリ系グルメが咲き誇ったエリアです。
33. 二川宿 柏餅、かしわ肉の料理 二川宿本陣資料館周辺で、歴史的な風情とともに語り継がれる。
34. 吉田宿 菜飯田楽(八丁味噌と大根葉のご飯) 文政年間創業の老舗「きく宗」が今も当時の味を完全現役で提供。
35. 御油宿 御油の松並木、キツネにちなむ油揚げ 豊川いなり寿司の歴史的なルーツの一つ。
36. 赤坂宿 赤坂の旅籠の御馳走(大橋屋) 2015年まで旅籠として営業。建物が現存し、文化を伝える。
37. 藤川宿 むらさき麦(独自の麦品種) 一度途絶えるも近年復活。道の駅等で麦粉のお菓子などを販売。
38. 岡崎宿 八丁味噌、岡崎御影石(石工品) 味噌蔵(カクキュー・まるや)が現存。石工品も伝統工芸。
39. 池鯉鮒宿 知立の大あんまき 明治以降に形を変えつつ、現在は「知立の大あんまき」として大ヒット。
40. 鳴海宿 有松・鳴海絞(伝統の絞り染め木綿) 国指定の伝統的工芸品。街道沿いに専門店が多数並ぶ。
41. 宮宿 あつた宮宿のきしめん 熱田神宮境内の「宮きしめん」をはじめ、今も名古屋の代表食。
4. 伊勢国・近江国・山城国(三重県・滋賀県・京都府)
終着の京都へ向かう最後の難所(鈴鹿峠)を越えるエリア。
街道を歩きながら食べるための「長餅」や「求肥菓子」、そして京都の手前のお土産物が並びます。
42. 桑名宿 焼き蛤(三大名物)、安永餅 蛤料理(歌行燈等)が現存。1634年創業の安永餅もそのまま健在。
43. 四日市宿 なが餅(笹井屋)、萬古焼(土鍋等) 1550年創業の笹井屋のなが餅が現存。萬古焼も陶芸として有名。
44. 石薬師宿 石薬師がに(カニを模した餅) 地元の和菓子店や地域イベントで限定的に復刻。
45. 庄野宿 焼き米(携帯用の保存食) 当時の実用食。現在は宿場資料館等にその歴史が残る。
46. 亀山宿 志ら玉(三色に彩られた上新粉の餅) 1688年創業の老舗「瑞宝軒」が、当時とまったく同じ姿で販売。
47. 関宿 関の戸(和三盆の求肥餅) 寛永年間創業の「深川屋」が、当時と同じ街道沿いの本建築で販売。
48. 坂下宿 鈴鹿峠・片山立場の山椒餅・みそ餅 当時の峠の茶屋は途絶えたが、ふもとの道の駅等で復刻販売。
49. 土山宿 土山茶(挽きたての宿場緑茶) 現在も滋賀県最大の茶産地であり、「土山茶」ブランドとして健在。
50. 水口宿 干瓢(夕顔を干した宿場農村の特産) 広重の浮世絵の題材。現在も水口の特産品として生産。
51. 石部宿 いもつぶし(とろろ汁・いも餅) 郷土の歴史を伝える和菓子等のモチーフとして残る。
52. 草津宿 姥が餅(乳房を象ったあんころ餅) 家康も食べた名物。現在は草津駅前等の「うばがもちや」で健在。
53. 大津宿 走り井餅、大津絵(民芸の風刺画) 餅は伝統継承中。大津絵も三井寺の麓の専門店で手描き販売中。
終点:京都三条 京菓子、清水焼、京漬物 日本の伝統文化の中心として、あらゆる名物が今なお最高峰。





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